

こんにちは、けだま(@kedamafire)です。
大人と子供の境界線とは何か。
もう5年程前の記憶ですが、通りがかったFMラジオで、あるチャンネルのDJがこんなことを言っていました。
大人と子供の境界線とは何か。
それは、親の庇護なしに生きていけるかどうかである。
そして、その力は経済力とも言い換えられるだろう。
この資本主義社会のもとでは、40歳フリーターよりも資産10億の15歳の方が生存力が高いともいえる。
大人と子供の境界線というと、お酒が飲める年齢や選挙権が与えられる年齢といった法律にまつわる線引きを考えがちだが、それらは時代時代でラインが変わる恣意的なものに過ぎない。
だから、大人と子供境界線とは、親の庇護なしに生きていけるかどうかなのである。
そこでちょっと考える。
果たして世のサラリーマンは大人と言えるのだろうか、と。
『親の庇護無しで生きていけるかどうか。』
これを、
『会社の庇護無しで生きていけるかどうか。』
と言い換えた時に、Noであるサラリーマンを僕が冒頭に設定した論理では、大人とは認められない。
うる覚えではありますが、概ねこのような内容だったと思います。
うん、そうね。
でも別に会社員を馬鹿にするとかそういうニュアンスではなく、カネが全てだって言いたいわけでもなく、ただ論理的にスラスラと流れるように話されていたことを記憶しています。
そして妙に納得したんですよね。
つまり、『会社の庇護無しで生きていけるかどうか』ということを、ぼくは経済的・精神的自立、何かへの依存度についての話だと解釈しました。
会社に入って大人になった顔で仕事していても、無思考にそこに依存して働いている限りにおいては自立した状態とはいえないのではないか。
今はいいけども、もし、自分の倫理にそぐわないことを命令されたとき、経済的に会社に依存していると断ることができないかもしれない。
それは、経済的に会社に依存しているということは、精神的にも依存しているということを表しています。
確かにそれは自立した大人と言えるのだろうか。
依存自体を否定しないが、それはストレスレスな幸せな生き方なんだろうか。
これは、ぼくが本格的に投資をはじめる際のきっかけにもなったエピソードです。
先日大きく注目を浴びた金融庁の【老後資金2,000万円】問題を受けて、『年金払え』とデモがありました。
朝日新聞デジタル
会社の庇護のもと、主体的に生きていないと将来こんな風に何かに文句を言ってばかりになってしまうのではないか。。
もちろんデモ参加者の方には色んな境遇があり一律の批判は有効ではないと思いますが、少なくとも個人的には会社や国への一方的且つ過度な依存はしたくない。
それが本当の意味で主体的な大人になるってことだろうし、何より経済的・精神的な自由、つまり、『自分の行く末は自分で選択できる』という自己決定権の100%保有感は心の余裕につながるだろう。
ということでぼくは、
- リスクを取ること前提に自己責任で資産形成
- 趣味である、書くこと・ブログを起点にした複業化
を目指して日々生活しています。
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